M&Aで後悔しないために
売り手が知るべき5つの失敗事例とトラブル回避策
序章:M&A成功の先に潜む「後悔」という名の落とし穴
M&Aは、中小企業の経営者にとって、後継者不在の問題を解決し、事業の継続性を確保するための強力な選択肢です。
また、個人保証からの解放や、これまでの経営努力に対する創業者利益の獲得といった、人生の新たなステージを切り開く機会でもあります。
しかし、M&Aの成功は、単に契約を締結することだけでは完結しません。
一部の経営者が、取引が完了した後に「こんなはずではなかった」と深い後悔を抱くことがあります。
その原因は、売却価格といった目に見える条件にばかり気を取られ、その裏に潜む本質的なリスクや、見えにくい金銭以外の価値を見落としてしまうことが原因にあげられます。
M&Aは、単なる企業の売買ではなく、経営者自身の人生と、長年築き上げてきた社員、そして事業の未来を託す非常に重要なプロセスです。
今回は、M&Aの売り手が陥りがちな5つの代表的な失敗事例を、解説します。
なぜ後悔が生まれるのか、その核心に迫り、それぞれの失敗を未然に防ぐための具体的なトラブル回避策を紐解いていきましょう。
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失敗事例1:希望売却額を大幅に下回る「企業価値評価」の失敗
M&Aのプロセスで最も早い段階で直面する課題の一つが、企業価値の評価です。
多くの経営者が、自身の思い入れや希望的観測に基づいて売却希望価格を設定しますが、この主観的な価格設定は、交渉の初期段階で買い手との間に大きなギャップを生み、交渉が難航する原因となってきます。
特に、以下の2つの要因は、客観的な企業価値を大きく損なうリスクをはらんでいます。
1. 簿外債務・偶発債務の発覚による価格減額
企業の財務諸表に記載されていない「簿外債務」や、将来発生する可能性のある「偶発債務」は、買い手側のデューデリジェンス(詳細調査)によって徹底的に洗い出されます。
これらには、未払い残業代、訴訟リスク、第三者への債務保証などが含まれます。
これらの債務が発覚した場合、買い手は売却価格の大幅な減額を要求することが一般的です。
また、その金額や深刻さによっては、M&A取引自体が白紙撤回されることもあります。
この問題の本質は、簿外債務の金額そのものよりも、その存在が事前に開示されていなかったことによって生じる「買い手側の不信感」にあります。
特に小規模M&Aの場合、簿外債務の存在は、売り手が意図的に隠しているケースだけでなく、単なる認識の甘さや事前準備の不足によって意図せず発生しているケースも少なくないことが指摘されています。
買い手は、表面的な問題だけでなく、「なぜこの重要なリスクが事前に開示されなかったのか」という売り手側の誠実性を疑ってします。
この不信感は、今後の交渉全体に不利な影響を及ぼし、後述する交渉破談の温床となるのです。
2. 知的財産など「無形資産」の価値軽視
近年、企業の価値に占める特許、商標、ノウハウ、ブランド、顧客リストといった「無形資産」の割合は加速度的に高まっています。
例えば、米国の大手企業ではその割合が企業価値の90%に達するデータもあります。
にもかかわらず、多くのM&A交渉において、これらの無形資産が過小評価されたり、無視されたりすることが少なくありません。
この失敗は、単に売却価格が下がるという問題に留まりません。
もし売り手が自社の持つ知的財産の将来的な収益性や市場における競合優位性を正しく評価できていなかった場合、売却後に買い手企業がその資産を最大限に活用し、大きな利益を上げた際に、「自社で活用・収益化せずに売ってしまって後悔」という、より深い後悔に繋がることになります。
この状況は、買い手と売り手の間に存在する「情報の非対称性」に起因します。
買い手(または買い手FA)はプロの視点で無形資産の潜在価値を見抜きますが、売り手は自身の資産の真の価値を理解しきれていないことが多いのです。
このギャップを埋めるには、売り手自身が専門家の力を借りて、無形資産の棚卸しと価値の「見える化」を行う努力が不可欠です。
トラブル回避策
セルサイドデューデリジェンスの実施
買い手側のデューデリジェンスを待つのではなく、売り手側(セルサイド)で事前に弁護士や公認会計士とチームを組み、自社の潜在的なリスク(簿外債務、係争リスクなど)を徹底的に洗い出しておくことが重要です。
これにより、価格交渉の主導権を握り、買い手からの信頼を得ることができます。
客観的な企業価値評価(バリュエーション)の実施
感情や希望的観測を排除し、専門家による客観的な評価(年倍法、DCF法、類似企業比較法など)に基づいて売却価格の妥当性を説明できるようにする準備が必要です。
無形資産の「見える化」
知的財産(特許・商標など)を棚卸しし、それが事業の収益や市場競争力にどのように貢献しているかを具体的なデータで示す資料を準備することで、買い手にその真の価値を正しく伝えることができます。
失敗事例2:事業の根幹を揺るがす「社員・組織」のトラブル
M&Aは、経営者にとっての通過点であると同時に、社員にとっては自身の雇用や未来が不透明になる重大なイベントとなります。
この変化に社員が動揺し、不信感を抱くことで、事業継続の要である人材が流出したり、新しい企業文化になじめずモチベーションが低下したりするリスクがあります。
1. M&A情報の情報漏洩による社員の大量離職
M&Aの検討は極めて機密性が高く、最終契約が締結される前に情報が社内外に漏洩すると、社員は「会社が売りに出された」という噂に動揺し、優秀な人材から離職してしまう可能性があります。
また、取引先にも情報が漏れれば、「身売り」や「経営危機」といった噂が広まり、長年築き上げた信頼関係が損なわれ、取引中止のリスクも高まります。
情報漏洩のリスクは、単に交渉が破談するだけでなく、M&A後の事業運営にまで深刻な影響を及ぼします。
もしキーマンとなる優秀な人材が離職すれば、買い手はM&Aによって期待していたシナジー効果や収益を獲得できなくなり、事業価値が大きく毀損します。
その結果、買い手は売り手に対して「話が違う」と不信感を抱き、クロージング後のトラブルに発展しかねません。
このため、M&Aプロセス全体を通じて、誰に、どのタイミングで、どこまで情報を開示するかを段階的に管理する綿密な計画と、専門家による厳格な情報管理体制が不可欠です。
2. 売却後の社員の処遇軽視と企業文化の破壊
M&Aを検討する理由のひとつとして、多くの経営者は「社員の雇用継続」を挙げます。
しかし、売却価格を最優先して交渉を進めた結果、買い手企業がコスト削減のために人員整理や待遇変更を行ったり、新しい企業文化になじめず社員がストレスを感じたりするケースが後を絶ちません。
これは、売り手の「社員を守りたい」という思いと、買い手の「効率性や利益を最優先する」という目的の間に生じるギャップが原因です。
M&A後の成功は、PMI(経営統合プロセス)に大きく依存しています。
企業文化の適合性やPMIの失敗は、買い手側も重要なリスク要因として捉えています。
PMIがうまくいかないと、従業員の混乱や反発を招き、大量離職につながる可能性があります。
この失敗を回避するためには、交渉段階から非金銭的な条件を明確にすることが不可欠です。
例えば、「給料面・福利厚生面においてM&A後2年間程度は不利益な変更を行わないこと」の確約を契約に盛り込むなど、具体的な条件を明文化することが、後悔を防ぐ鍵となります。
トラブル回避策
情報管理と段階的な開示
秘密保持契約(NDA)を確実に締結し、従業員への情報開示は最終契約の直前など、適切なタイミングと範囲に限定する。
キーマンの引き止め策
事業継続に不可欠な優秀な人材(キーマン)には事前にM&Aの意図を丁寧に説明し、インセンティブ(役職、報酬など)を提示して残留を促す。
M&A後の丁寧な説明会
最終契約後速やかに、買い手企業の経営陣とともに、従業員向けに今後の経営方針や待遇について丁寧な説明会を開催し、不安を払拭する。
失敗事例3:クロージング後に判明する「法的・契約」トラブル
M&A取引が完了した後、「知らなかった」では済まされない法的・契約上の問題が発覚し、売り手が巨額の損害賠償を請求されたり、最悪の場合、個人破産に追い込まれたりするケースがあります。
これらのトラブルは、事前の準備が不足していた場合に顕在化するのです。
1. 「表明保証違反」による損害賠償リスク
M&Aの最終契約書には、売り手が「開示した財務情報や契約内容は真実かつ正確である」と約束する「表明保証」という条項が必ず含まれます。
これは、買い手がデューデリジェンスでは見つけきれなかったリスクに対して、売り手が責任を負うことを担保するものです。
もし、この保証に反する事実(隠れた負債、不正会計、係争中の訴訟など)が発覚すれば、買い手は表明保証違反を理由に、売り手に対して高額な損害賠償を請求することができます。
2. 経営者個人の連帯保証解除の失敗
中小企業の経営者は、会社の借入に対して個人で連帯保証を行っていることが一般的です。
M&Aの大きな目的の一つは、この個人保証から解放されることですが、M&Aが完了した後も、契約上の不備や買い手の不誠実な対応により、個人保証が解除されないまま放置される事例が報告されています。
このような状況で買い手企業や売り手企業が倒産すると、保証が残っていた売り手経営者が莫大な借金を背負い、個人破産に陥るという悲劇的な事例も存在します。
この失敗の原因は、単に買い手への依頼不足だけではありません。
M&A契約書に「クロージング完了と同時に個人保証を解除する」といった具体的な文言が明確に盛り込まれていなかったことや、金融機関との事前調整が不足していたことにあると考えられます。
個人保証の解除は、M&Aの最終段階で最も注意すべき、かつデリケートなプロセスであり、契約書に条項を盛り込むだけでなく、金融機関の事前了承を得るなど、売り手側が主体的にリスク管理を行う必要があります。
トラブル回避策
専門家チームによる契約書レビュー
M&A経験豊富な弁護士を起用し、表明保証、損害賠償条項、そして特に個人保証の解除に関する条項を隅々まで精査する。
表明保証保険の活用
万が一、表明保証違反による損害賠償責任が発生した場合に備え、そのリスクをカバーする保険の加入を検討する。
契約条件の明確化と履行確認
経営者保証の解除や譲渡対価の分割払い(アーンアウト)など、M&A後に実行されるべき重要な条件は、契約書に明確かつ詳細に記述し、クロージング時にその履行を確実に確認する。
※わたくしの個人的な支援方法としては、「譲渡対価の分割払い(アーンアウト)」を、条件として盛り込むことは非推奨です。そのような不確定な条件は個人的に否定しているくらいリスクのある条件と考えております。
失敗事例4:信頼関係の喪失による「交渉破談(ブレイク)」
M&A交渉が順調に進み、基本合意書まで締結したにもかかわらず、最終段階で交渉が破談(ブレイク)してしまうことは、双方にとって時間と労力の大きな損失となります。
その最大の原因は、双方間に築かれるべき「信頼関係の喪失」にあります。
1. デューデリジェンスで発覚する「サプライズ」リスク
基本合意後、買い手が実施するデューデリジェンス(買収調査)で、事前に売り手から知らされていなかった重大なリスク(簿外債務、訴訟、行政処分など)が「サプライズ」として発覚すると、買い手の不信感は決定的なものとなり、交渉破談につながります。
このサプライズが致命的なのは、買い手が「こんな重要なことすら開示されないなら、他にも何か隠しているのではないか」と疑心暗鬼になるためです。
この不信感は、その後の価格交渉や契約交渉を極めて困難にし、交渉を破綻させます。
この失敗を回避するには、売り手による「誠実な情報開示」の姿勢が何よりも重要です。
不利な情報であっても正直に開示した上で交渉する方が、結果的にトラブルを回避でき、買い手との信頼関係を築くことができます。
事前にセルサイド(売り手側の)デューデリジェンスを実施し、自社のリスクを把握した上で、そのリスクをどう評価し、対処していくかを買い手に誠実に説明することで、交渉の主導権を握るだけでなく、信頼関係を構築する機会に変えることができます。
2. 安易な「独占交渉権」の付与
M&A交渉の初期段階で、買い手候補に「独占交渉権」を付与すると、売り手は一定期間、他の買い手候補と一切交渉できなくなります。
この期間中に、より良い条件を提示する別の買い手が出てきても、交渉のテーブルにつくことができず、売却価格や条件で不利な状況に陥る可能性があります。
独占交渉権は、買い手にとってはデューデリジェンスに投じるコストや時間を保護するメリットがある一方で、売り手にとっては「交渉の機会損失」という大きなデメリットを伴います。
これは、複数の買い手候補を競わせ、競争環境を作り出すというM&A交渉の基本的なセオリーと矛盾する要素です。
したがって、売り手は独占交渉権を安易に付与するのではなく、買い手候補を十分に比較検討し、その買い手が本当に信頼できるパートナーかどうかを慎重に見極める必要があります。
トラブル回避策
透明性の高い情報開示
交渉の初期段階から、不都合な情報も含め、正確かつ誠実に情報開示を行うことが、信頼関係構築の第一歩です。
複数の買い手候補との交渉
複数の買い手候補を比較し、競争環境を作り出すことで、より有利な条件を引き出す可能性が高まります。
独占交渉権の慎重な判断
独占交渉権を付与するタイミングと期間を慎重に検討し、買い手との間に公正な関係を築くことが重要です。
失敗事例5:予想外の「取引先・関係者」との関係悪化
M&Aは、売り手と買い手だけの問題ではありません。
長年事業を支えてきた取引先や金融機関といった外部ステークホルダー(利害関係者)との関係にも大きな影響を及ぼします。
これらの関係を軽視すると、事業の継続性を脅かす重大なリスクに直面する可能性があります。
取引先のCOC(Change of Control)条項の見落とし
多くの企業間取引契約には、経営権の変更(M&Aなど)があった場合に、相手方が契約を解除できるという「Change of Control(COC)条項」が含まれています。
この条項を見落としたままM&Aを進めると、主要取引先との契約がM&A後に解除され、事業の収益基盤が失われる可能性があります。
この問題は、単なる契約書の一文ではなく、M&A後の事業継続性を左右する「時限爆弾」となりえます。
この失敗の本質は、法務的な問題とステークホルダーマネジメントの問題が複合的に絡み合っている点にあります。
このリスクを回避するためには、M&Aのプロセスにおいて、法務デューデリジェンスを徹底し、すべての重要な取引契約書を専門家とともに精査する必要があります。
そして、特に事業にとって重要な取引先については、M&Aが完了する前に丁寧に説明を行い、理解と承諾を得るよう調整することが不可欠です。
トラブル回避策
取引先との契約書を事前精査
M&A検討の初期段階で、主要な取引先との契約書をすべて確認し、COC条項の有無やその他の譲渡制限条項を専門家とともに精査する。
M&A後の迅速かつ丁寧な説明
M&Aが完了した直後に、買い手企業の経営陣とともに、取引先に対してM&Aの経緯と今後の運営方針を丁寧に説明し、信頼関係を再構築する。
事前に取引先の承諾を得る
特に事業にとって重要な取引先については、基本合意締結後から最終契約締結前の間に、M&Aについて説明と承諾を得るよう調整する。
まとめ:M&Aで後悔しないための「トラブル回避策」チェックリスト
本稿で解説した失敗事例と回避策を、以下のチェックリストにまとめました。
M&Aを検討する際は、これらの項目を一つずつ確認し、自身のM&Aプロセスに活用してください。
| 失敗事例 | 具体的な原因 | トラブル回避策 |
| 企業価値評価の失敗 | ・簿外債務や偶発債務の発覚 ・無形資産の価値軽視 | ・セルサイドデューデリジェンスの実施 ・無形資産の価値を「見える化」する |
| 社員・組織のトラブル | ・情報漏洩による優秀人材の流出 ・売却後の処遇軽視 |
・厳格な情報管理体制の構築 ・M&A後の待遇に関する条件を明文化する |
| 法的・契約トラブル | ・表明保証違反による損害賠償 ・経営者個人保証の解除失敗 |
・M&A経験豊富な弁護士を起用する ・個人保証の解除を契約書に明記し、金融機関と事前調整する |
| 交渉破談(ブレイク) | ・デューデリジェンスでの「サプライズ」 ・安易な独占交渉権の付与 |
・不利な情報も含め、誠実な情報開示を徹底する ・複数の買い手候補を比較検討する |
| 取引先・関係者の関係悪化 | ・COC条項の見落とし ・M&A後の説明不足 |
・主要取引先との契約書を事前に精査する ・M&A後に買い手とともに丁寧な説明会を実施する |
M&Aの売り手の成功は、単に高値で売却することではありません。
それは、売却後の後悔をいかに回避し、経営者自身と社員、そして築き上げてきた事業の未来をいかに守るかにかかっています。
そのためには、感情的な判断や安易なプロセスを避け、冷静かつ客観的な事実に基づいた事前準備と、信頼できる専門家との連携が不可欠だということを忘れないでいて下さい。
中小企業のM&Aは、売り手様・買い手様の一期一会のご縁によりご成約されるものです。
ご覧いただいている方に、良縁がありますよう祈念させていただきます。
お問い合わせ・弊社概要・サービス案内
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